今回はYOASOBIの名曲、「群青」のMVおよび歌詞の意味について考察していきます。自分はこの曲とMVがあまりにも好き過ぎて、累計で300回ほど見ました。その上で自分なりの解釈を述べていきますので、MVを未視聴の方は是非そちらをご覧になってから下記の考察をお読みください。


まずは1番から。最初のシーン。タクシーの中で物憂げに窓の外を見る主人公の女性。窓に自分の指で、悲しげな顔を描いたりしていますね。また、ニュースでは「地球に巨大隕石が急接近」という速報が流れています。

最初に注目すべき点はここです。この曲における印象的な「知らず知らず隠してた~」の部分。ここで現れた複数の謎のネコの仮面の男達。仮に仮面の男と名付けておきましょう。

彼らはいわば「自分の心の声の代弁者」ですね。端的に言えば、「自分の心の声」である彼らが「やりたいことをやりなよ」と迷う彼女を後押ししてるのがこのシーンです。このMVを手掛けた牧野惇さんはインタビューで「主人公のベースになっているのは猫」と仰っていました。なので主人公の「心の声」である彼らは猫の仮面を被っています。

さて、続いてMVを見ていきましょう。「好きなものを好きだと言う 怖くて仕方ないけど」の部分です。この歌詞は、例えば「自分の好きな事や推しの何かを、他の誰かに表明する事が恥ずかしい」という風に解釈することが出来ます。ですが、こういうふうにも解釈出来ると思います。

「人は自分が本当に好きなものには、真正面から向き合うことすら出来ない」

こういった気持ちは、誰しも多かれ少なかれ抱いたことがあるのではないでしょうか。たとえば歌手やスポーツ選手になりたいとしても、最初から自分には無理だと諦めて、その夢から目を背けてしまう。こういったケースですね。

MVでは、彼女が新聞のオーディションの記事を読んでいます。この記事、自分は初めて見た時にバレエのオーディションだと勘違いしていたんですが、よく見ると、コンテンポラリーダンスのオーディションなんです。

コンテンポラリーダンスというのは、表現方法やテクニックに決まりがない自由なダンスです。ダンサー自身の表現力が問われる、非常に難易度の高いダンスだといえます。そういう点も含めてなのか、この女性は、自分が本当に好きなコンテンポラリーダンスに向き合うことに足踏みをしていました。

しかしそれでも彼女は、自分の心の声に従って、ダンサーになるという願望にようやく向き合いました。そして、彼女は勇気を出して、ストレッチをしようと包帯をほどきました。この包帯をほどいたシーン、ここも大事なポイントがあります。

このダンス用シューズの柄の部分、先ほどの仮面の男と同じネコの柄なんです。彼女にとって本当にしたいことは、自分の脚を使って踊るダンスだという事が暗に示されていますね。

そうして、最初のサビが終わると、渋谷の街に降っていた雨が止みます。彼女の心が晴れ始めたことを意味していますね。さて、ここまでが1番です。

続いて、2番を見ていきましょう。勇気を出して一歩踏み出した彼女ですが、苦しい事しか待ち受けてはいませんでした。足は痛むし、コンテンポラリーダンスには正解なんて無い。けど彼女はその答えを自分なりに懸命に模索しています。

しかも、そんな彼女が目にしたのは、巨大隕石が衝突するというニュース。今ダンスを練習したとしても、意味はあるのだろうか?と当然彼女は思います。だから、2番目のサビの前の「ああ」の時の顔はあんなに苦しそうなんです。


しかしそれでも、彼女は踊り続けます。ここの「しがみついた青い誓い」というフレーズ、本当に良いフレーズですよね。「青い誓い」とは要するに、「自分の夢」です。コンテンポラリーダンスのダンサーとして成功するという夢。それは傍から見れば青臭いような夢しれない。それでも彼女は、その自分との誓いにしがみつきながら、もがき続けているんですね。

また、ここでの彼女の踊りの内容も注目すべき点です。自分の姿が入れ替わり現れています。これは、彼女がまだ自分の踊りのスタイルに迷っている最中である事が表現されているのではないでしょうか。

なお、彼女の踊りの内容に関してですが、彼女は彼女なりに「生命の神秘」のようなものを表現したいのだと思います。彼女が踊る後ろで鳥や草木のイメージが浮かんでいるのは、その表れでしょう。

次に、2番目のサビの後。「何枚でも ほら何枚でも」のパート。隕石がもうすぐ落ちてくる緊迫した場面。ニュースではオーディションと同じ日の28日に隕石が衝突すると報じられています。

そこで、主人公の女性が取る行動は、荷物でいっぱいの車に乗って逃げ惑う人々とは対照的です。彼女は、彼らとは正反対の方角へ、何も持たずに、自分の足で、オーディション会場へと向かいます。



この場面では、世界各地の人々の姿が写されます。神に祈りを捧げる人も居れば、家族と共に身を寄せ合っている人も居ます。こういった人々の姿は、主人公の女性の「自分独りで突き進む姿勢」との対比になっていますね。

しかし、そんな彼女ですが、ここで「今でも自信なんかない それでも」と歌われているように、いくら頑張ってもまだ自信が無い。それでも、どうしても抑えられない欲求が彼女の中にあるんですね。ここでの彼女の顔がかなり怖いのは、おそらく自我が崩壊しそうなくらい苦しい内面の現れではないかと思います。

さて、いよいよクライマックスです。ここの「好きなものと向き合うことで 触れたまだ小さな光」のシーン。自分はこのMVの中でこのシーンが一番好きで、見るたびに感動します。場所はオーディション会場ですが、客席に注目してみましょう。客席には誰もおらず、彼女のダンスを見る人は一人も居ません。しかしそんなことはお構いなしに、彼女は踊ろうとポーズを取るわけですね。

彼女の心境は、もう誰かに見認められたいとか、そういう段階ではありません。ただひたすらに自分の理想のダンスを踊りたいだけなんだ、という確固たる信念が感じられます。その姿には本当に胸を打つものがあります。

そして、その次の歌詞。「全てを賭けて描く 自分にしか出せない色で」。このフレーズも本当に印象的ですね。「全てを賭けて」と歌われている通り、これは「夢に向かって頑張ってみようかな」レベルの話ではなく、文字通り、自分の命すらも懸けて夢に向かって突き進んでいる覚悟が伝わってきます。

さて、MVではいよいよ隕石が落ちてきます。隕石が全てを破壊する真っただ中、彼女はたった一人で踊り続けます。それは誰かに認められようというオーディションではありません。地球滅亡を目前にしても、本当に自分にしか出来ない踊りが舞えるかどうかの、言うなれば自分に対してのオーディションなのかもしれません。

ここまで来たら、周りの声がどうとか、世界がどうとか、自分の命がどうとか、彼女にとっては関係ないんだと思います。ただ、本当に踊りが大好きだから踊ってるだけなんだと思いです。

そして、ラストの「知らず知らず 隠してた」の合唱パート。MVにおけるポイントは「仮面の男達の不在」です。このシーン、1回目の「知らず知らず~」のシーンとは異なり、仮面の男達の姿が何処にも居ません。

あの時に彼女を後押ししていた彼らがもう居なくなったことの意味。それはすなわち、彼女にとって仮面の男達の存在が不要になった事を意味しています(少し無理やりな解釈かもしれませんが…)。つまり彼女は、自分の内なる願望の象徴である仮面の男達に応援されなくても、もう自分のやりたいことを無心で没頭出来るようになりました。端的に言うと、彼女は「自己実現」に成功したのです。非常に感動的なシーンですね。

なお、このMV全体を通じて非常に謎めいている点があります。それは、なぜ隕石の中に主人公の女性…すなわち自分の姿が居るのか、という点です。あくまで自分なりの解釈ですがこの「隕石の中に自分が居る」意味は、

「自分の夢と真正面から向き合う事は、隕石の衝突くらいとても
恐ろしい。しかし、その恐怖を乗り越えて自分が信じた道を突き進めばきっと本当の自分と出会える。」

という事なのではないかと思います。ご参考までに。

「群青」は聴く人を勇気づける本当に素晴らしい楽曲ですが、MV込みで見るとさらに感動的ですね。これにてMVの考察は以上です。ご拝読ありがとうございました。